オルフェーヴルvsジェンティルドンナ、あの判定は正しかったのか?

今年のジャパンカップといえば、

ゴール板を駆け抜けるまで激しい叩き合いとなった

オルフェーヴルとジェンティルドンナの追い比べが印象的でしたね。



馬体を合わせ、何度もぶつかっていたこともあり、

進路を巡って長い審議となりましたが、

あなたは、あの判定をどのように感じましたか?







いろいろな考え方があるとは思いますが、

私は、判定結果などあまり気にする必要などないと考えています。



的中馬券を持っていた方にとっては、

この考えは、到底納得できないことかもしれませんが、

ここで、考えていただきたいのは、馬券が的中したとかしないとか、

そんな低次元の話ではありません。



そもそも、

そんな議論をすること自体が無意味だと、私は言いたいのです。







現在の競馬のルールでは、

裁決委員によって、降着、失格などの判定が下されます。



つまり、「裁決委員の判定=ルール」であり、

そこには、競馬ファンや客観的な解釈などが入り込む余地などないわけです。




だから、今年のジャパンカップの審議内容でいえば、

降着なしが正しい判定であり、岩田ジョッキーの騎乗停止が正しい判断なわけです。









しかし、だからといって、

裁決委員の判定をそのまま受け入れるべきだとも、私は思いません。



なぜならば、

裁決委員の判定は現在のルールでは正しい判断かもしれませんが、

ルールや解釈が変われば、結果が大きく変わる可能性も十分ありうるからです。



つまり、

判定は事実として受け止めつつも、

自分の解釈まで、変えたり捨てたりする必要は全くないということです。










さきほどもいいましたが、

現在のルールでは裁決委員の解釈がルールであり、正解です。



しかし、それは結果的に事実ではありますが、

解釈として真実なのかどうかは、誰にも確かめることはできませんし、

そもそも正解はひとつではありません。



そして、ここで重要なのは、

事実はひとつかもしれませんが、解釈は人それぞれであり、

事実と解釈を混同することなく、その違いをしっかりと意識しなければ

ならないということです。




ここのところを意識していないと、

自分と異なる解釈や考え方を認めることができず、

ただ自分の考え方を押し付け、相手を否定するだけの議論になりがちです。



しかし、

そこで、解釈の違いを意識することによって、相手の思考に興味が持てたり、

思考を共有することによって、新たな解釈が生まれることもあります。



だから、そういう視点から見れば、

どちらか正しくて、どちらが間違っているのかというのは、

むしろ歓迎すべきことであって、新たなチャンスとも捉えることができるわけです。







もちろん、

競馬予想においても、その感覚は重要です。



ある競走馬がレースで非常にインパクトのある競馬をしたとします。



そして、そのレースを見ていたほとんどの人がその馬が強いと感じたとしましょう。



そして、新聞紙面上でも、注目馬として大きく取り上げられていたとします。



あなたは、その情報をどのように解釈するでしょうか。







ここで注意すべきなのは、

「強い」ということが、事実ではなく、解釈だということです。




なぜ強いと思うのか、その根拠となる事実は評価すべきものなのかを、

あなた自身が納得できるものであれば、それはそれでいいでしょう。



しかし、もっとも危険なのは、

新聞紙面上で強いと書かれていたからとか、みんなが強いと言っていたからとか、

解釈をまるで事実であるかのように感じてしまうことです。



つまり、

解釈に疑問を持つことなく、あたかも事実のように認識してしまうのです。








思考停止になることは簡単です。



影響力のある人や多数派の解釈に同調さえしていればいいのですから・・・。



しかし、それでは何も変わりません。

自分で考え判断し、行動しなければ何も変わらないんです。



競馬予想でいえば、

誰かのロジックの猿真似だけで競馬予想をすることは、

他人の解釈を事実だと勘違いしている思考停止の典型です。



あなたは、そんな思考停止の猿真似予想がお望みですか?



私は、やっぱり自分で決断する競馬予想を楽しみたい。



なぜならば、競馬予想は自己表現のひとつであり、自分の思考の作品でもあるから。







猿真似予想でよければ、お金さえ払えば簡単に手に入れることができます。



ただし、どんな結果になっても、責任を他人に求めることは厳禁です。



どんな結果であれ、そんな猿真似予想を選んだのは、あなた自身なのですから。

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