競馬中継のレース回顧で、
「やっぱり、今回は58キロのハンデが影響しましたね」とか、
「内枠で揉まれたのが、敗因ですね」とか
もっともらしく解説をしている競馬記者や競馬評論家を見たことありませんか?
そんな自信タップリの解説を聞いていると、いつも私はこう、つぶやきたくなります。
「レースが終わった後なら、それぐらいのこと誰だって言えるよ」って。
競馬場でレースを見ている時も、荒れたレースの直後になると、必ずといっていいほど、
「ほら、だから荒れるって言っただろう」
とまわりの人に自慢気に言っている人を見かけます。
で、実際に馬券が当たっているのかと思いきや、
そういう人に限って、そのレースの馬券を買っていないことが多いんです。
これは、競馬予想に限ったことではありませんが、
人は誰でも、結果を知った後には、結果を知る前にイメージしていた時より、
もっと正確に予測していたと思い込んでしまう傾向があります。
先程の、「レースが荒れた」という結果に対しても、
レースが始まる前は、「もしかしたら、荒れるかも・・・」と思っていたにもかかわらず、
レースが終わる頃には「たぶん、荒れる」に変わっていた可能性が高いんです。
でなければ、なぜ、荒れると予想していながら、穴馬券を買わなかったのでしょう。
結局、他人のことは冷静に分析できても、自分のことになった途端、盲目になってしまうわけです。
このようなタイプは、ギャンブルで自分の負けを認めることができない人に多いと言われています。
ギャンブルに負け、傷つくことを恐れるばかりに、
なんとかして自分の自信や実力を保とうとしているんです。
しかし、こんなことを続けていても、同じ結果を繰り返すばかりか、
自分に都合のいいことばかり言ういい加減な奴と、まわりの人間が離れていきます。
馬券がハズれたことを認めるのは、悔しいことです。
でも、それが自分の実力であり、認めたくない結果を認めることは、とても価値のあることです。
レースが終わってから、もっともらしく講釈を言う評論家よりも、
冷静になって素直にレース結果を分析することの方が、
「勝つ」競馬予想への近道だと私は思います。
P.S.
この馬券術、先週も絶好調でした。
複勝 2040円 的中!
でも、複勝馬券の配当って、
たとえば、単勝オッズが50倍の場合でも、複勝の配当の一方は650円、もう一方は1580円とか、
大きく異なる場合があるんですよね。
美味しい配当の場合には、「えっ、こんなにつくの」、とうれしい反面、
以外と配当がつかない複勝馬券の場合は、なんだか損した気分になりませんか?